何もできず終わった現実
僕の現役時代は、今振り返っても「何もできなかった」としか言えません。
スポーツ推薦で立教大学に行きたいという思いから、一般受験でも立教大学を第一志望として受験勉強を始めました。 でも、部活との両立はうまくいかず、家に帰ったらTikTokを開いてスクロールして、そのまま寝る。 そんな日々が続いていました。
当然、そんな生活で成績が伸びるはずもなく、6月に受けたベネッセ模試では、曖昧ですが偏差値が40を切っていたと思います。
納得のいかない引退、そして夏
部活も思うようにできないまま納得のいかない形で引退し、夏が始まりました。 始めはそれなりに頑張っていたものの、計画を立てずに突っ走ってしまい、うまくいかないときに立て直すことができませんでした。 そのまま失速して、勉強に手がつかなくなっていきました。
東進の共テ模試では、確か総合偏差値が30前後。 現実を突きつけられましたが、それでもスイッチは入らず、夏休みの最後の2週間は、ほとんど勉強せずに終わりました。
「もう楽しもう」と決めた高校生活
9月に受けた駿台・ベネッセ模試も、偏差値30台。 そこから火がつくことはなく、「ここまで落ちたなら、もう高校生活を楽しもう」と開き直ってしまいました。
週に一度はカラオケに行ったり、カフェでただゆったり過ごしたり、友達と授業をサボって昼ご飯を食べに行ったり。 今考えれば、高校二年生ならまだしも、受験生がやることではなかったし、かなり親不孝な日々だったと思います。
当然成績が伸びるわけもなく、12月の東進最終模試では総合偏差値33。 英語はなんと偏差値26。どこにも受からないだろうなと思いながら、年が明け、気づけば共通テスト当日がやってきました。
共通テストで突きつけられた現実
もちろん奇跡なんて起きません。 理系でありながら、数学ⅠAは33点。 英語リーディングは30点台で、なぜかリスニングだけ62点。 数学ⅡBは58点、物理は42点。
「今まで何してたんだろう」と自分が情けなくなって、ようやくこの時になって勉強を頑張るようになりました。 でも当然もう遅いわけで、第一志望の立教大学しか受験しませんでした。
というのも、「どこを受けても受からないだろう」と思っていたからです。 受験というより、“確認”のような気持ちで、どれくらい通用するのかを試すくらいのつもりでした。
結果はもちろん不合格。 そして、浪人が決まりました。
この時点でようやく、自分の中で何かが変わりました。 「次こそは、絶対に受かってみせる」 そう覚悟を決めた瞬間でした。
次回は、このあと始まる浪人生活について書いていこうと思います。
